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NAOのプロフィール


NAOの詳しいプロフィール

やれば何でもできると思ってました

 

 

 

谷あいを飛び越える

私は幼少の頃から、「何でも、やれば成し遂げられる」と考えていました。社会人になってからも、なりたい自分に向け計画的に進めては、目標を達成していました。好奇心が旺盛と行動的な性格は、若さにあいまって活発な20代を過ごします。

何か作り出す仕事をしたい、もの作りをしたいと考えていました。そして、せっかくの人生の全てをかけるなら、世界でいちばん美しい思えるものに人生をかけたい。そう考えて、自分が納得できる、もっとも美しいものとは何なのかを探す旅に出ます。さまざまな国へ行き、建築物や美術品を見て回りました。カメラと絵筆を持って、さまざまな人の暮らしに入って行き、記録してまわりました。

長旅を終え「自然」と「人」が、もっとも美しい存在だったと気づきました。この2つに関係した仕事に挑戦してみようと考えていた時は、23歳でした。これで、ようやく自分が進みたい道が絞られ、夢に向かって進む準備が進んで行きました。やる気と行動、努力があれば、人生は切り開いていける。行動と結果を出している自分に自信も持っていました。

 

ミャンマーで事故に遭遇

ミャンマーの相乗りバス

引きこもりがちになっていた弟に、次へ踏み出すキッカケになればと思い、中学校の夏休みにタイ・ミャンマーへ2人旅に誘いました。

弟は初めてのミャンマーへのの旅に、とてもワクワクしていました。現地のあたたかい人々に触れ、自信を取り戻しついく様子を見てほっとしていました

そんなある日、偶然がかさなって事故が起きました。

 

 

ミャンマーで手術後の写真

2人は乗り合いトラックの荷台に乗っていました。トラックの屋根に、重さ10kgほどのコンロが荷物として置いてあったのですが、街路樹と荷物が引っかかり、コンロが飛んできました。時速40kmのスピードで私の頭に衝突し、バスから吹き飛ばされそうになりました。幸い、無意識に手が柱を力強くつかんだので、落下せずに済みました。

おでこは割れ、手術台へと運ばれました。ちょうど、おでこだけにぶつかったことで失明を避け、無意識にしっかり車をつかんだ左手が命綱となり後続車にひかれることもありませんでした。

ここから、痛みと不定愁訴との戦いが始まりました。吐き気・痛み・高熱・うつ・不眠・めまい・眠気・難聴・耳鳴り・記憶障害・嗅覚障害など、あらゆる症状が襲いかかってきました。まさに不定愁訴のデパートでした。

ポジティブな人間でしたが、この日から、ネガティブな発想しかできなくなります。人に会うのも嫌になりました。他人が自分の中で生きているようでした。

かつての努力さえすれば何だってできると考えていた時代は終わりました

 

夢は、痛みをとること

 

 

事故でいがんだ頚椎のレントゲン

何枚も撮影したレントゲン

アジア最大の私立病院である、バンコク・バムルンラード病院にて診察を受けました。効かない痛み止めをもらうだけでした。

帰国して、即、地元の病院で診察を受けます。MRI、レントゲンを撮影後に、お医者さんが言ったことは、「異常ありません。気のせいです。湿布を出しておきます」あまりにも衝撃的なコメントだったので、聞き直したことを今でも覚えています。「え??? 痛みだけでなく、いろんな症状が現在進行形で存在しているのに、気のせい・・ですか??」

それから、ドクターショッピングが始まります。何枚ものMRIを撮影しても、異常なしと診断されます。今、目の前で起きていることが、信じられませんでした。田舎だからダメなのかと考え、他府県の病院まで足を伸ばしても同じでした。このころから、西洋医学では治せないかもしれないと、気づきはじめました。

 

東洋医学を探り旅へ出る


解剖書

少しでも評判が良い院があれば、県外であっても、片っぱしから試しました。接骨院や整体院、鍼灸、カイロプラクティック、中国式整体など、わずかに良くなる程度でした。

図書館で調べていある日、中国で処方された中医漢方が、日本で処方されるものとは桁違いに鎮痛に良いと書いているのを見つけました。「もうダメだ。日本では治してもらえない」。

その2週間後には、中国に飛んでいました。

何のつても情報もなく、中国の南部、雲南省(うんなんしょう)に到着しました。宿の人に痛みに強い病院はどこかを聞いて、病院めぐりをしました。先生は英語が上手とは限らないため、漢字で筆談をまじえて、診察を受けました。もらった漢方を煎じて飲みますが、痛みは消えません。

せっかくなので中国式の整体を試しますが、これもダメでした。もう、世界のどこへ行っても治せる人はいないのだろうかと落ち込みました。

 

 

薬草庫から漢方を取り出す医師

ガイドブックにも出ない無名の田舎へ訪れた時、ふと立ち寄った診療所で奇跡が起こります。

処方された漢方を飲んだ翌朝、起きると、まったく痛みが消えていました。映画「レナードの朝」のようでした。「すごい!これで、何とかなるかもしれない」。

ところが、帰国後、しばらくすると痛みが戻って来たのです。そのとき、思い出したのは、「あなた北の人間か?南の人間か?」という医者の言葉でした。処方された内容は、雲南省に住んでいてることを前提としたものだったのです。食べ物や環境が変わると、漢方が効かなくなったのです。

手もとには、効かなくなったたくさんの漢方と失望だけが残りました。この時24歳の春でした。

 

パワーパートナーとの出会い

数時間しか効かない神経ブロックを打ちながら、コールセンターで働く毎日でした。どの治療も頭打ちし、うまく付き合う方法を探すしかないのだろうかと考えました。

頭打ちしていた状態を大きく変える存在に出会います。会社で間違えて声をかけたことがきっかけとなり、現在の妻となる女性に出会います。彼女は、根拠なく「あなたは治る」と信じていましたそして、治療法や本を探し出してくるのですが、それは、自分が調べても出会えなかった情報ばかりだったのです。

すぐれた治療家たちに出会い、施術後のすぐに元の状態に戻ってしまう速度を、ずっと遅らせることができました。これまでに自分が出会った治療法では大きく改善しなかったのに、パートナーの力によって、大きな進展をみせたのです。

すでに、事故から13年が経っていました。34歳でした。

 

夢へ向けて始動

これまでは、仕事を選ぶときは、体に相談しなければなりませんでした。でも、これからは、自分が挑戦したい仕事にすすむことができます。これまでの知識と経験を活かし、腰痛セラピストとして進む決心をしました。

こうして、事故をする前に夢だった「自然、または人をつくりあげる仕事」に近い、「人の心身をすこやかな状態へつくり変える」道へすすむことができました。それも、妻もいっしょに活動できるのは、すばらしい経験です。

国内でセラピストとして活動を始めました。その後、長期で海外へ滞在することなり、外国でもセラピストとして活動することにしました。そして、これが、予想外の試練となったのです。 

 

海外で施術を開始

イランでの施術

2017年の夏、2人はイランに滞在していました。

腰痛に困っている人を紹介されたのです。しかし、ペルシャ語のみ話せる人だったので困っていたところに、英語への通訳を買って出てくれる男性がいました。口コミで評判が広がるなか、予約やスケジュールの管理まで対応してくれたのです。おかげで、心強い仲間と一緒に、毎日、深夜まで施術する日々が続きました。

手術を6日後に控えた椎間板ヘルニアと診断された男性は短期間に改善できたことで、手術を回避できました。

半年間、腕が上がらなかった内装工の男性は、腕が治ったことで喜び、法律で禁止されているはずのお酒へ誘ってくれることもありました。

80歳のおばあちゃんは、あがらなくなった両手が改善し、階段がたいへんだったご婦人は、痛みなく踏み込めるようになった大喜びでした。

これまでの自分の経験が、誰かのために役立ったことが何よりうれしかったです。希望を持って元気な姿に変わる様子に、夫婦で立ち会えることも素晴らしい経験でした。

 

予想を超えたコンディションの悪さ

しかし、すべてのお客様を改善できたわけではありません。特にイランは民間療法が発達していないことや、国内の医療レベルが高くないこともあり、体の痛みをケアしないで放置している人がほとんどでした。

そのため、体をゆるめるエクササイズすら出来ないほど重症だったり、体操ができても、改善に至るまで時間が長くかかってしまうのです。その他の国では、多くても3回目の施術で終わることが多いのですが、イランは特別に症状が重い人が多いのです。

言葉の壁があるからこそ結果が重要となります。遠い町から期待を胸に来てくださったからには、痛みを和らげてから帰って欲しい。滞在時間が限定されること、そして、症状が深刻ゆえにぶつかった新たな課題でした。

 

解剖学に基づいた技術を探して

 

ハワイ大学解剖プログラムのメンバー

 

即効性のある技術を求め研究がはじまりました。KenYamamoto氏が考案したテクニックの採用は、解剖学に基づいていて安全で確実であることが決めてとなりました。特に、イランではドクターに施術する機会が多かったため、解剖学的に説明ができないと納得してもらえないからです。

痛みが発生している場所ではなく、痛いところから遠く離れた場所からアプローチする点も安心です。例えば、首が痛む時も、足の調整で治せたり、手のしびれは、下半身の調整で良くなるケースが沢山あるからです。

 

ふたたび中国・イランへ。

 

絨毯商人の治療

翌年、中国とイランへ向かいました。かつて施術した裁判長と連絡がつきました。彼はセルフケアを続けた結果、元気になり、若々しくなっていたのが嬉しかったです。その彼が、施術する場所を提供してくれることになったのです。彼の家族が一丸となって、予約管理や移動の手配をサポートしてくれました。

KenYamamotoテクニックによる効果はテキメンでした。解剖学に基づく施術は、人種や体型などに左右されず、お客様へ痛みをあまり感じさせることなく施術できました。

安全でありながら、より短い時間で結果を出せたことは、言葉の壁や、次の訪問までの時間を考えると、とても大きな成果でした。前年のような悔しい思いをすることは、ずいぶん減りました。

 

中国でもセルフケアによる改善に成功

 

AKO施術風景

中国の南、香港に近い、広州へ訪れました。ここでも、信頼できる仲間がプロジェクトに参加してくれました。しかも、仕事を休んでまで調整してくれたのです。決して英語が堪能とはいえませんが、それでも彼女に仕事をお願いしたいと考えました。

広州から電車で10時間、田舎の町につきました。中国は鍼灸の良い先生がたくさんいるのかと思っていました。ところが、その町の治療家は都会へ行ってしまい、よい治療を受けれないとのことでした。その町もイランと同じように、痛みがあっても鍼灸でケアすることは無いそうです。したがって、日本よりも重い症状をかかえている方が多いのです。

長年ぎっくり腰の女性は、最初は家族に連れられ、悲壮な顔でした。すっかり元気になり、お礼に卵27個を頂きました。1ヶ月後に、帰国を前にして、再度の診察を提案しましたが、「仕事で忙しいから診察はいらない」という元気な様子でした。セルフケアで良い状態をキープできていました。

数学教師の女性は、若いころからの腰痛に悩んでいましたが、セルフケア体操を実施して、自力で改善しました。

KenYamamotoテクニックにより短時間の改善にくわえ、セルフケアで良い状態を維持できることは、私たちが帰国してしまうことを考えると、とても安心できる点です。長年、多くのお金を治療へ費やした私としても、お金のかからない改善方法を処方できることは、喜びでした。

こうして、現地のたくさんの人々にささえられ、痛みをやわらげるお手伝いをすることができました。

 

 痛みが減れば、社会が豊かになる

痛みは、人を殺します。痛みは才能を殺し、人格さえも変えてしまいます。

痛みは、じわじわと、でも確実に、時間とお金を奪います。やがては、家族や職場に影響し、人生そのものが脅かされる場合もあります。痛みがなくても、不定愁訴で、人生を思うように生きれない人もいます。

今日というこの日が人生の中でいちばん若い時です。できるだけ、若い時に悩みをなくせば、より多くの選択肢の中から、より多くの才能を発揮させて生きることができます。時間は、私たちに与えられた、唯一の共通した財産です。痛みのために思うように過ごせないでいることは、あなたの才能や夢を考えると、とてももったいないことです。

痛みのセラピストとして活動している今を考えると、私が13年間も闘ったことは決してムダではありません。でも、もし1年でも早く解決策を出会っていれば、より若い時に、よりたくさんの出会いがあり、よりエネルギッシュに夢に向けて挑戦したり、より沢山の時間をパートナーや家族との思い出作りに費やしたり、より自分らしく納得できる人生を送れたでしょう。

あとになって分かったことですが、実家のちかくに、仲野整體(たい)という素晴らしい医院あったそうです。それも、80年も前から… 縁がなかったんですね。こうして、あなたが、ブログを通じて出会えたことは必然だと思います。そして、私たちが経験したことが少しでもお役にたつなら、これほど嬉しいことはありません。

ここまで長い時間読んでくださり、ありがとうございます。椅子から立って、背中を伸ばして休めてくださいね。

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